[いにしえから伝わる鹿角紫根染・茜染]
先日、紫根染の貴重な体験をさせていただきました。
↑実際に染めてきたもの
すごいものだとは知っていながら実際に見聞きし体験してみると
そのすごさをより実感したのでした。
今回はこの鹿角の紫根染・茜染をご紹介します。
ここ鹿角ではこの染物に必要なムラサキ、アカネ、
また下染に使用するサワフタギが豊富に自生していたため
1300年前の昔から
その根を使い染める 紫根染、茜染の技法が伝承されてきました。
(1300年前というと大日堂舞楽や尾去沢鉱山と同じ歴史です。
奈良時代に京から文化が流れてきたのでしょうか。)
(パンフレットより)
江戸時代には産業として発展し、 その質の高さから献上品ともなり
京紫と江戸紫と並び南部紫は日本三大紫と称され、
とりわけ南部、鹿角のものは品質がよかったそうです。
しかし明治に入り、西洋の技法が流れ込むと一時途絶えてしまいます。
その後、大正期に研究を重ね古代技法を復興させた鹿角市花輪の栗山文次郎氏(人間国宝)、
その技術を受け継いだ息子の文一郎氏により平成3年まで大切に守られてきました。 .
古代の紫根染、茜染はサワフタギの灰をつかった下染120回
(この灰に含まれるアルミニウム成分が染色に必要なんだとか。
昔の人はすごいです。サワフタギが希少となった現在は椿で代用しているそうです。)
さらにムラサキやアカネの根から抽出した染料で本染を行い、
タンスの中で年月をかけ寝かせるなどの工程も入り、
完成までに5年以上という
途方にくれるような作業を要したそうです。
何年もかけ染め上げられた
その紫、茜は色あせることなく、
「神の坐す布」と言われ、
文次郎氏の染めたものは
伊勢神宮や皇室にも献上されました。
こちらの写真は50年前に染められたもの。
実物を見せていただきましたが、
やはり現代のものとは違う深みと輝きを放っておりました。
↑何度も何度も下染された羽二重
羽二重の柔らかさはなくなり、
厚みと硬さが出て色がついています。これを絞るのはそれはそれは大変な作業だったようです。
昭和後期~平成の開発などにより、
自生していたムラサキ 、サワフタギは非常に希少となりました。
文一郎さんが亡くなられ技術が途絶えた現在は
研究会の皆様が長い年月をかけ
ムラサキの栽培・古代技法の習得などの研究に取り組まれています。
研究会を牽引する関さんは文一郎さんが亡くなる寸前に
当時のお仕事の縁で染める様子を取材をされたそうです。
それがなければ今、この技術をこのような形で伝え聞くこともできなかったかもしれません。
自分の責務と染物に取り組まれた文次郎さん文一郎さんにも
また復活に取り組む研究会の皆様にも敬服・感服いたします。
今回の体験は、
短時間でできるよう3度の下染を研究会の皆様が施してくださった布で、
現代技法で染めました。
サワフタギの代用として使う椿の灰も、
現在手に入るムラサキもまた、
とても貴重だそう。
この体験の下染、本染を繰り返しただけでも大変だと感じましたが
古代の技法を思うとそれはもう大変な作業だったのだと分かりました。
印にそい縫って絞ります。
ちゃんと絞れているのか...
↑解説を聞きながら染めます。
写真の黄色い布は下染して干している様子。(栗山家)
体験版の行程
温度管理などもしっかりされていました。
三度の媒染、本染を繰り返し
いよいよ洗ってほどきます。
緊張の瞬間!
ちゃんと模様になりました!(ホッ)
絞りを取って染め上がった布をみると感慨ひとしお。
研究会のスタッフのみなさんのおかげで不器用な私が染めても形になりました!
これは乾かしたら3ヶ月以上寝かせることで色が落ち着きよくなるのだそうです。
秋に開けるのが楽しみです。
とても貴重な経験をさせていただきました。
研究会では研究会員さんを募集されています。
また、体験も定期的に行われております。
(先日は嵐のコンサートのために来日した中国の漢方医の方が体験された、、
など、この紫・茜を染める技術は海を越え注目されているようです。)
興味をお持ちの方はぜひホームページなどでチェックしてみてはいかがでしょうか?